コクヨの障がい者雇用の歴史は戦前の1940年にさかのぼります。創業者の黒田善太郎翁は身体障がい者の雇用促進は産業人としての当然の責務であり、職業的自立が当人や家族の生活安定と生きがいに結び付くと考えていました。そして、当時現在の本社エリアに在った今里工場(大阪市東成区)に大阪市立聾唖学校(現在の大阪府立中央聴覚支援学校)の生徒を採用したのが初めでした。工場には多くの印刷機と手作業があり、善太郎翁は大きな音がする機械を操作するのに聴覚障がい者ならかえって苦にならないだろうということで採用されたそうです。聴覚障がい者も優秀な人は職長に抜擢され、健常者と共に働く職場が作られました。

その後1961年には大阪市内にあった工場を八尾市内に集約して八尾工場として新設。工場設備は大型の自動ライン化が進みました。それに伴い聴覚障がい者はラインの補助業務につきました。

コクヨグループにおける障がい者雇用の転換になったのが、2002年に発表された事業構造改革プランでした。このなかで、八尾工場と滋賀工場の統合および分社化計画されましたが、八尾工場の聴覚障がい者の雇用をどうするか、コクヨ分社化よる個々の子会社が障がい者雇用にどう対応するかが検討され、その結果、2003年9月にグループ適応が可能となる特例子会社としてコクヨKハート株式会社が設立されました。

また、その後増加が見込まれていた知的・精神障がい者の雇用をどうするかが検討され、職種開拓が急がれていましたが、最終的に水耕栽培が選ばれ2006年12月にハートランド株式会社が設立されました。

2019年6月1日現在、コクヨ本社とカウネットやコクヨマーケティングなど8つの子会社をまとめてグループ適応しており、コクヨグループにおける障がい者雇用率は2.31%となっています。

コクヨKハートの「K」は

戦前の名前「黒田国光堂」の頭文字を採ったもので、その当時から障がい者雇用を積極的に推進してきた精神を継承するとともに、
Kindness(=優しさ)
Knowledge(=知識)
Kinship(=親族関係)
を大切にしていこうという思いを込めています。